十二天宮(久保田)

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 田川に架かる十二天橋の傍に鎮座する十二天宮(結城市久保田)。
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十二天宮の由来と祭神
十二天宮は十二人の天部神にして、伊舎那天 火天 羅刹天 風天 帝釋天 炎魔天 水天 毘沙門天の八方天に、梵天 地天 日天 月天の四天部を加いた尊なる祭神と云う。此の十二天宮は結城城主十一代氏朝の子窪田太郎が当地の地頭として任ぜられし昔に城に祀られてあった八幡宮と共に此処に鎮座し更に久保田の地名も窪田氏より起りしものと思料される
 昭和五拾八年拾二月吉日
 結城氏朝の子は持朝(結城氏十二代当主)、朝兼、長朝、成朝(十三代当主)の四人であるそうだが、窪田太郎って誰さ。御落胤なのかな。
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十二天宮社の再造営のあしあとの記
大正二年四月当字主神八幡神社に慶福の諏訪神社並びに天満宮、水神社とこの十二天宮が明治三十九年八月勅令によって合祀され十二天宮は関城町分中の地に譲與されて以来廃社となりしが戦後此の荒屋敷坪を始めとして十件以上の火災あり、当字古老の話しに十二天宮を粗略にした、ための神罰であるとの事で昭和四十四年九月に祠堂宇を建築せるも今回旧神地の造成を地元工野建設に宮城県北上郡珂北町■榊工務店に神殿の発注を依頼して今回その再建造営をみた次第である。米とお酒と木綿の布を、久保田河岸からお江戸の町に運ぶ白帆の高瀬舟と、唱われた鬼怒川の舟運によって開かれた久保田河岸の隆盛はその面影をとどめ得ないが温故知新古きよき時代を偲んで永く久保田の歴史を■と後世に伝いるためにも十二天宮の再建立は喜ばしきものである。
 大字久保田区長 古嶋通三郎
 「加いた」とか「伝いる」とか、「え」が「い」になっているのはこの辺りの特徴なのかなと思いググってみたら、やはり茨城弁の特徴であるようだ。
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 本殿覆屋。
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 本殿。
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