玉日姫の墓(結城)

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 結城城跡公園の西北に位置する玉日姫の墓(結城市結城)。
 玉日宮とは聞き覚えの無い名前の神社だなと思い立ち寄ってみたら、神社ではなくお墓だった。そう言えば結城駅前の観光案内板に、玉日姫の墓と言うのが城跡公園の近くに書いてあったな。そうかあれここか。などと思い出し、神社じゃないけど折角来たのだからと見て行くことに。
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 この宝篋印塔が玉日姫の墓であるそうだ。
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史跡 玉日姫の墓
 結城城の北に、玉日という地名が今も伝わります。この地名は、ここに眠ると伝わる玉日姫にちなんだものです。
 墓所に建つ碑は、浄土真宗の篤学の高僧・島地黙雷により綴られ、次のようなことが記されています。
 玉日姫は、関白・九條兼実の七女として誕生し、浄土真宗の開祖・親鸞聖人の妻となりますが、越後に流された聖人が、赦されて関東に向かったとの知らせを聞いて、侍女の白河の局を伴ない関東に下りました。
 玉日姫は、この地方一帯で布教を続ける聖人を助け、自らも剃髪します。やがて、聖人が京に戻ることになる際も、その教えを広めんがために結城に留まり、ここに草庵を結び生涯を送ったということです。
 現存する、石の玉垣に囲まれた宝篋印塔は、近世になってから、江戸の講中(玉日講)により再建されたものです

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能荘厳院尼公之碑
能莊嚴院惠信襌尼碑     従三位九條道實公篆額
襌尼法諱惠信諡能莊嚴院始名玉日關白九條兼實公第七女也建仁三年
爲眞宗開祖鸞師配承元元年宗祖遷謫時畱在京都後假稱兵部太輔三善
為教女與侍女白川局等東下追随共助道化當此時結城朝光深歸宗祖執
師資禮是以宗祖歸洛後猶住結城落飾改名専任遺教扶護蓋關東法苗被
襌尼培養居多云建長六年九月二十九日歿享年六十九歳先于宗祖遷化
八年也遺訓懇切使人感泣所以後世景慕益加焉今茲遠近門侶協同建碑
以擬報恩請銘於余余乃爲銘曰
 法本一理 機有利鈍 攝化無量 方便千萬 夙爲韋堤 怨恨臨刅
 今成玉女 綢繆相勸 眞俗扶翼 宗基由建 何周引導 共乘悲願
  明治四十一年歳次戊申九月 龍谷勸學島地黙雷譔竝書
                         宮田九靍刀
 九条兼実の娘である恵信禅尼(玉日姫)が兵部太輔三善為教の娘と称して東へ下ってきたとあるが、ググってみると恵信禅尼は九条兼実の娘ではなく越後国の豪族である三善為教の娘であることが大正十年(1921)に判明しているそうで、この碑が建てられた明治四十一年(1908)の時点では九条兼実の娘であると思われていたのだろう。
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 ここも結城百選の一つである。
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