久伊豆神社(岩槻区加倉四丁目)

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 加倉連合自治会館の隣、国道122号線に北面して鎮座する久伊豆神社(さいたま市岩槻区加倉4-19-37)。
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久伊豆神社
久伊豆神社の御祭神は、国土開発・生成化育・子孫繁栄を掌る大己貴命(大国主命)です。
天文年間(一五三二~一五三三年)頃勘解田盛之という人が当地に来て田圃を拓き農人となりこの地に留まるようになったのがこの村の祖といわれています。元亀年間(一五七〇~一五七三年)、時の岩槻城主太田資正は、岩槻城の西方箕輪郷の一部向原を分け、村高八百七十五石を以って加倉村と改めました。その頃農人が祀っていた久伊豆大明神を村の鎮守「久伊豆神社」として神璽を奉じて中島の地に遷し祀られました。
明治五年に村社となり、翌明治六年十一月十一日本殿の落成を見、同二十九年十一月に拝殿が再建されました。
正面の扁額に久伊豆神社・稲荷社・宗像社・籠神社・水神社と掲げられており、いくつもの神様が祀られていることが分かり、それぞれの神様がこの加倉地区・加倉の人々をお守りくださっております。久伊豆神社は加倉の鎮守様(氏神様)であります。
 御祭礼日 毎年十月十九日

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 上記の由緒書きには久伊豆神社には稲荷社と宗像社、籠神社、水神社が合祀されていると書かれているが、扁額に刻まれているのは籠神社ではなく龗神社である。神社合祀碑には八大龍王社とも記されているので、やはり龗神社の方が正しいのだろう。
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 拝殿。
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 斜め後ろから。
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 稲荷社。
 石燈籠には「寛政四壬子歳二月初午日 浄国寺三十一世泰譽代」と刻まれている。寛政四年は1792年。
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 何神社なのかわからなかったが、ググってみたら太子堂であるのだそうだ。
 奥に見える石碑は明治三十年(1897)六月に建てられた拝殿新設之記。
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 明治四十二年(1909)十二月に建てられた神社合祀碑。
 先の拝殿新設記念碑もそうだったが、崩し字が多くてわかりにくい。とりあえずわかる部分をまとめると、埼玉県武蔵国南埼玉郡柏崎村大字加倉の地に祀られていた無格社辨天社、八大龍王社、水神社、稲荷社は長い時を経て社殿が朽ち神地も荒れ、神の威光が衰えるのを憂えていた折に神社合祀の勅令が出されたので、明治四十年三月二十一日に村社久伊豆神社に合祀したというようなことが記されている。
 また、背面には以下の文も刻まれている。
  明治十六年十一月二十日本社遷宮式
  仝三十六年三月十六日手水屋上棟式
  仝四十一年十二月吉日敷石新設
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 鈴木源吉頌徳碑と青面金剛二基。
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 嘉永七年(1854)十一月奉納の力石。
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