紀文稲荷神社(永代一丁目)

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 大島川西支川に架かる御船橋の傍に鎮座する紀文稲荷神社(江東区永代1-14-14)。
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 一の鳥居には昭和四十五年六月吉日、二の鳥居と三の鳥居には昭和五十一年六月吉日と記されている。
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紀文稲荷神社縁起
 江戸中期(元禄時代)の豪商紀国屋文左衛門が京都伏見稲荷神社より御璽を拝受しこの地にお祀りしたのが当紀文稲荷神社です。
 紀国屋文左衛門は第五代将軍徳川綱吉の側用人柳沢吉保荻原重秀等と結び風浪を冒して紀州よりミカンを江戸に運びまた材木商として明暦の大火に木曽の木材を買い占め数年で巨万の財を築き豪遊して紀文大尽と称せられてことはあまりにも有名です。
 紀国屋文左衛門の店は八丁堀にありその下屋敷が現在の第一勧業銀行深川支店あたりにありました当時この付近一帯は運河が縦横に走り此処に紀国屋文左衛門の船蔵があり航海の安全と商売の繁盛を祈ってこの地にお稲荷様を祀ったものです。
 以前この付近一帯は窪田家の所有地でありましたが窪田家の没落とともに祀る人もなく荒れるがままに放置されておりました。
 昭和の始め頃この付近に疫病が流行し行者にその平癒をお願いしたところ何処かに放置されたお稲荷様があるはずでそのお稲荷様を祀れば疫病は平癒すると言うご神示を戴き当時草原と化していたこの付近を捜索した結果荒れ果てた祠を発見し肥料商人中田孝治が発起人となり現在の社殿を建立お祀りしたところ疫病は平癒し商売も大繁盛しました。
 爾来商売繁盛家内安全のお稲荷様として広く信仰を集めて参りました。
 富士浅間神社 龍神様 は中田孝治が富士講の講元をしていたことから富士浅間神社の御璽を拝受してお祀りしたものです。
 元の境内は現在地より北西約三十米の奥まったところにありましたが、昭和六十二年大和永代ビルディング建設に伴い三菱倉庫株式会社の深い信仰心に基づく真摯な移転作業により昭和六十二年三月三十一日遷座祭を執り行い現地に移転しました。
 又境内にある石はこの付近にあった米問屋肥料問屋等で働く力自慢の人達が差し上げることが出来た大石に自分の名を刻み記念としたものです。現在でも当神社総代鶴岡秀雄氏が会長をされている深川力持睦会がその伝統を受け継ぎ東京都から無形民俗文化財に指定されております。
 昭和六十三年五月吉日 

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 社殿。
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 冨士浅間神社と龍神。
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 ずらりと並ぶ力石。
 石の表面には千鳥や大判 宗平 正平、山水、寿、王子石、つる乃子、飛龍、虎石、紀文などの文字が刻まれているのが見える。「飛龍」石には「箱崎 飯虎」、「虎石」石には「大正十年八月 飯田虎」とも刻まれているが、これは同じ人が差し上げた石なのかな。
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