佐賀稲荷神社(佐賀二丁目)

IMGS7040s_2017042914390512a.jpg
 隅田川大橋の傍に鎮座する佐賀稲荷神社(江東区佐賀2-4-8)。
IMGS7036s_20170429143904937.jpg 
佐賀稲荷と佐賀町
 江戸時代初期の深川は小島の点在する遠浅の海であったが寛永六年(一六二九)永代島付近の埋立許可を得て、次郎兵衛、藤左衛門、他六人の者に依って猟師町、八ヶ町が出来上り上之橋の方を次郎兵衛町、中之橋より南を藤左衛門町とした。
元禄八年(一六九五)検地の際、次郎兵衛町、藤左衛門町を合併し佐賀町と改めた。町名は地形が肥前之国(佐賀長崎)佐賀湊に似ていたことに因むと云われる。
 干泻を埋め町造りの基礎を固め、漁村から海上運送の起点として繁栄をたどる。通りの両側は各地の産物を集めた。各種の問屋の暖簾がはためき川筋には倉庫が建並び、舫った大小の船の間を忙しくたち働く人々の声が終日行き交った。
 先人相諮り、佐賀町に住む人々の除厄招福を願い永世鎮護の祠を穿ち佐賀稲荷神社の額を掲げた。時に寛永七年(一六三〇)、祭神は生成発展を司る稲の霊である所の宇迦之魂命である。
 明治以降は正米市場がたち米問屋が集い、当社は商売繁盛の稲荷として栄えた。倉庫業に携わる人々の余技として生まれ伝承された深川の力持は、まさに佐賀町の特性を活した伝統技能である。
境内には 力持技芸者 の奉納した力石 明治初期に米問屋で出来た米仲間が寄進した 鉄製の 天水桶が現存している
 代々尊栄奉仕の心怠りなく、平成八年の春を迎え茲に社殿を修復、境内を整備し碑を建てる。後人永くこの町佐賀町を愛し佐賀町に住む誘いを失わざることを切に願うのみである。
 平成八年五月吉日
 佐賀稲荷神社世話人代表 町会長 桑畑喬彦 書
平成七年十一月七日 修復報告祭
平成八年二月十五日 復興報告祭

IMGS7043s_201704291439046f1.jpg IMGS7045s.jpg
 お狐様。
IMGS7026s.jpg
 本殿。
IMGS7029s.jpg
 本殿前のお狐様。
IMGS7018s_20170429151905285.jpg
 力石。
IMGS7013s_20170429151904553.jpg
スポンサーサイト

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

カレンダー
04 | 2017/05 | 06
- 1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31 - - -
ブログ内検索
カテゴリー
最近の記事
最近のコメント
月別アーカイブ
最近のトラックバック
FC2カウンター
プロフィール

梁瀬

Author:梁瀬
無駄な徘徊でCO2を増やす、
方向感覚に不案内なヒト

リンク
RSSフィード