於満稲荷神社(日本橋三丁目)

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 八重洲大飯店と酒席いづみやの間の僅かなスペースに鎮座する於満稲荷神社(中央区日本橋3-3-3)。
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於満稲荷神社縁起
此の神社の於満とは、徳川家康公の奥御前で養珠院様(於満の方 一五八〇~一六五三)といわれています。養珠院様は二人の男児に恵まれました。徳川御三家紀州家の開祖となった徳川頼宣公と、水戸家の開祖徳川頼房公の御生母です。また八代将軍吉宗公や徳川光圀公(水戸光圀公)も子孫に当たります。一六五七年の「明暦の大火」で江戸城をはじめ、このあたりも記録とともに消失しました。その後復興し、寛文(一六六一~七三)の記録に、この於満稲荷神社が記されています。 言い伝えでは、此の地に幕府のご休憩所があり、信心深い養珠院様御一行が神仏寄進のために日本橋界隈に物資調達にお立寄り、商業に多大な貢献をした養珠院様ゆかりの地として、商人達によって神社が建てられたとされています。 またそれから百年あまり後の寛延(一七四八~五一)には於満稲荷ゆかりの「於満すし」が江戸中の名物となり、この地の賑わいが記されています。
以来約三百五十年間、この稲荷神社は関東大震災など数々の試練を乗り越え、この地の商売繁盛五穀豊穣の稲荷神社として崇められ信仰され続けています。

平成十七年、中央区により「養珠院通り」となった通り名の由来にもなりました。
平成十七年七月吉日
 於満稲荷神社世話人一同

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 都内には敷地の狭い神社が多数あるが、こちらは輪をかけて狭い。
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 現代の地図と江戸時代の地図が並んで設置されている。ただ、この左側の地図の赤印が付いている所は実際の場所より北に1ブロックずれているような気がするのだが、もしかしたら江戸時代にあった場所が現在ではその位置に当たると言うことなのだろうか? わからんけど。
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