稲荷神社(見沼区新堤)

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 さいたま市立七里小学校の南西に鎮座する稲荷神社(さいたま市見沼区新堤)。
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 鳥居。
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 お狐さま。
 台座には「寛政十年二月初午」と刻まれているが、その上に乗っているこちらは比較的最近になってから作られたものなのだろう。
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 本殿は覆屋と瑞垣に囲われている。
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稲荷神社 御由緒
 当社は、綾瀬川を東に望む大宮台地上に鎮座する。境内は、桜・杉・楢・櫟などが林立し、武蔵野の面影をとどめている。鎮座地南西側は、菱沼の低地で、近年までは水田が広がり、この中に稲荷免と呼ばれる社有地があった。
 創建は、当地の世襲名主を務めた大長島と呼ばれる長島家を筆頭に「文殿」と呼ばれる松本家、「西の家」と呼ばれる柳沢家により行われた。これらは永禄九年(一五六六)に織田軍の攻撃により、伊勢国長島より下野国足利に逃げ延び、更に当国岩槻領慈恩寺に身を潜め、当地に僧形にて土着帰農した家々であると伝える。
 祭神は、五穀の実りを守護する倉稲魂命である。また、境内の眷属像は、寛政十年(一七九八)二月初午に郷中安全を祈願して氏子中が奉納している。石工は、市場町(岩槻)の名工荻原伊兵衛である。
 社殿は、二間四方の寄棟造り、本殿は朱塗りの一間社流造りである。
 慶応三年(一八六七)三月の奉納額は、琵琶を弾く武将の図が描かれており、「鎮守正一位稲荷社」と記されている。これは氏子の与三郎・鉄五郎・志知蔵・喜久蔵・与兵衛・長五郎・吉五郎・藤五郎の名前が見られる。
 明治六年、『明細帳』によると村社に列せられた。
□御祭神と御神徳
 ・倉稲魂命・・・五穀豊穣、商売繁盛
□御祭日
 ・初午祭(三月初午)

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 本殿。
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 斜めから。
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 後ろから。
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 力石と水盤、そして破損したお狐さま。
 力石は二つとも宝暦五乙亥年九月に奉納されたもので、重さは左の物が三十二匁目で右の物が三十八匁目。水盤は側面に「弘化三丙午歳九月吉日」と刻まれている。宝暦五年は1755年で弘化三年は1846年。
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