恵徳寺(赤坂町)

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 高崎神社の北西に位置する曹洞宗恵徳寺(高崎市赤坂町77)。
曹洞宗 惠徳禅寺
由緒
 天正年間(一五七三~一五九二)井伊直政公が伯母である惠徳院宗貞尼菩提の為、箕輪日向峰に一宇を創立し松隆山恵惠徳院と號した
 慶長三年(一五九八)直政公和田城入城の折に此の寺を城北榎森に移し松隆山東向院惠徳寺と改めた当時寺領二拾石五斗の御朱印地であった。後の城主酒井家次公の時慶長九年(一六〇四)~元和二年(一六〇六)の間に現在地「赤坂」に移る
開山
 群馬郡箕郷町瀧澤寺第四世勅特賜大光普照襌師龍山永潭大和尚に依り開山。この禅師は箕輪在住の頃より直政公の信任厚く在る時「和田の名稱を松崎と変えたいが」の問に「松は枯れる事があるが髙さには限りがないその意をとって髙崎はいかゞか」と進言した処直政公大いに喜び「髙崎」と命名したと云う
本尊
 釋迦牟尼佛を安置し奉る
平成元年五月五日
    惠徳廿九世 大峰辰雄

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 本堂。
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 十一面観音堂。
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十一面観世音(四萬八千日)
 観音巡礼が盛んだった江戸時代から、恵徳寺の観音様も札所の一つでした。この観音堂には三体の観音像が安置されています。後立観音に運慶作と伝えられる聖観音、そして前立観音には行基作の秘仏とされる千手観音と十一面観音です。この十一面観音様は、昔は中山道高崎宿西出入り口のお堂に安置されていましたが、一九〇八年に恵徳寺の観音堂に移りました。大縁日の八月十日は年に一度の御開帳で、この日に参詣すると四萬八千日参詣したのと同じ功徳があるとされています。東京上野浅草寺の四萬六千日よりも二千日多いことで知られていました。また、夜祭は明け方まで大賑わいであった事が安永九年(一七八〇)の「閭里歳時記」に記されています。近所の子供達がこの観音像を人形にみたてて遊んでいたところ、これを注意したりすると却ってその人に災難が降りかかったといわれます。

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 観音堂を横から。
 左奥に見えるのは美保大國神社。


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