萬日堂(下豊岡町)

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 君が代橋西交差点の北東、下豊岡第二公民館脇に位置する萬日堂(高崎市下豊岡町832-1)。
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下豊岡町三一四番地所在の万日堂墓地は 国道用地として建設省からの要請に依り協議の結果 移転する事に決り 江戸時代に立てられたという木造瓦葺平屋建二十五坪の万日堂は取り崩し本尊様のみかへり阿弥陀像を移転安置し 新しく当地に建立する
 昭和五十六年三月三十日

高崎市指定重要文化財 みかえり阿弥陀像
指定 昭和四十八年一月三十一日
所在 下豊岡町八三三の一
   万日堂本尊として安置
 顔は左横向きやや下方を見ている。このために寝釈迦(涅槃像)ではないかという説もあり、江戸時代のある時期には涅槃像として信仰されていたようである。
 みかえりの阿弥陀は日本全国でもわかっているものは五体に過ぎず、今まで関東では全くみられず、なぜ万日堂に伝来するのか興味深いものがある。
 傍の鳥酔句碑の句も本尊を涅槃像と思ったものであろう。
 像 高 八三センチ
 肩 幅 二一センチ
 足部幅 一七センチ
 寄木桧作り 両手欠落
 室町時代末期と推定
  高崎市教育委員会
  万  日  堂
昭和五十六年七月八日 建設

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阿弥陀伝説
 万日堂に安置されている本尊仏をみかえり阿弥陀という。この万日堂は国道十八号(旧中山道)沿い南側にあったのを、昭和五十六年道路拡幅のために北側のここに移した。
 昔、永観律師が不断念仏を思い立ち、本尊をめぐって行道念仏中つい眠くなって立ちどまっていたところ、本尊が、「永観遅いぞ」と、うしろをふり向いて声をかけられたという。
 みかえり阿弥陀尊はその故事によってつくられた。京都禅林寺にあるものは国の重要文化財になっている。ここのはそれらより時代は下るが、それでも室町時代と推定される。関東では唯一のみかえり阿弥陀であろう。
 この像を明治時代盗み出して売り払おうとした男があったが、君が代橋を渡る途中急死してしまい仏像は事なきを得た。
 大正時代もう一度盗まれたが、こも男も君が代橋上で大雷雨に遭い、男は感電死したが、仏像は無事だったという。

  鳥酔句碑
句 おもしろひ ゆめみる かほや 涅槃像
               露柱庵鳥酔居士
 碑陰 安永四年乙未春 椿山田忠書
    高崎駅 四卉庵連
 鳥酔白井信興(一七〇一‐一七六九)は江戸時代の俳人。上総(千葉県)の田舎で旗本知行所の郷代官をしていたが家督を弟に譲り江戸に出て俳壇一方の雄となった。その影響は上総、上野に特に著しく、明治六年四月四日、江戸に没するや、数名の高弟、その遺志を分け合い、一は子持山下の双林寺門前に「鳥酔翁家」を作り、一は下豊岡万日堂に涅槃句塚を建てた。
 前者は昭和二十四年県指定史跡となった。鳥酔は沼田、白井、高崎等にはしばしば滞留し、羽鳥麦舟・一紅夫妻、平花庵雨什らが指導を受けた。句碑は雨什らの四卉庵連が鳥酔の七回忌に修法建立したものである。
 案内板には「おもしろひ ゆめみる かほや 涅槃像  露柱庵鳥酔居士」と書かれているが、実際に碑に刻まれているのは「於もしろひ ゆめみる かほや 涅槃像  露柱堂鳥酔居士」である。まあ些細なことだが。
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