天照皇大神宮(藤塚町)

IMGS0406s_20170915192344dd1.jpg
 浅間神社から450m程西に鎮座する天照皇大神宮(高崎市藤塚町)。
IMGS0410s_20170915192343fa5.jpg

DSCF0470s.jpg 
天照皇大御宮・洪水祈念之碑・射水神
・天照皇大御宮
 全国に存在する天照大明神を祀る社で、建立年月などは不明です。祭は十月十四日に行なわれています。
・洪水祈念之碑
 明治四十三年(一九一〇)、大洪水のため藤塚町は壊滅状態に陥りました。家屋流失十八軒。半壊家屋五十数軒、浸水家屋十軒、溺死者二名、行方不明十名を数えました。疫病の発生を恐れ歩兵十五連隊が派遣され、近隣の人々の協力により復旧が為されました。皇族からの見舞金、国からの援助により復村したことを後世に伝えるため建立されました。
・射水神
 大正九年(一九二〇)、赤岩下が地滑りをして碓氷川を塞ぎ、人家や田畑に大きな被害を与えました。村民は堤防を造り、同十一年に村を守ることを願いこの碑が建てられました。

IMGS0438s.jpg
 秋葉神社と射水神。
 石祠の前面には「正一位秋葉大権現」「明和元甲申年五月吉日」と刻まれている。明和元年は1764年。
IMGS0413s_20170915192341c5c.jpg 
洪水記念之碑
洪水記念碑 陸軍歩兵大佐從五位勲三等功四級 古木秀太郎 篆額
明治四十三年八月十日暴風雨碓氷川大漲襄涯流橋其藤塚村地低平而家居近
岸是以打鐘報警近村相助堙塞是朂風愈暴雨愈急水量激増髙於平日既十五尺
矣濁浪沛然決潰堤防滔々横溢邨中浸家屋決田園人皆周章或攀梁或乘屋荷擔
奔走號哭之聲終夜不息村衙急開小學校為救拯之處供給衾食至翌十一日拂暁
水勢漸減衆心初降其間家屋流失者一十八毀壊者二半壊者五十有一浸水者十
而溺死者二生死不明者一既而水全退來閲之土礫滿家泥砂填井未可遽歸住也
於此老溺猶各把鋤鍬浚渫搬除鄰郷壮丁亦援之歩兵第十五聯隊特派兵員焉最
恐疾疫侵染鋭意盡力恢復後殆三十日而初得安其堵矣慘怛其状達
上聞九月六日侍從日根野要吉郎伴本縣知事神山潤次来傳
聖旨且賜 皇族諸殿下賑恤金村民感泣貯蓄以貽後昆本縣廳亦給與救害米穀
其二十日内務大臣平田東助来檢之然後田園修拓堤防再築越明年得全復儁觀
焉後數年邨人胥議勅禍害所及於貞石欲使後世子孫觀以不遣所儆誠也銘曰
  天何所怒 起斯風烈 吹雨巻雲 陵谷泪没 濁滾滔々 家流田決
  下民何辜 遷此杭臲 飽暖逸居 人情偸安 肉食紈袴 昔人譏孱
  心傲體懈 爲堪艱難 天烖地變 時㕥儆人 人能懲毖 勞苦儉勤
  寒暑無厭 饗義移仁 驕怠若兆 請觀斯文
 大正七年歳次戊午暮春月中浣    東谷隠士 田邨理 撰并書

IMGS0441s_2017091519234370e.jpg
 境内側から見た鳥居。
IMGS0416s_20170915194403135.jpg

IMGS0402s.jpg
 天照皇大神宮から90m程東に石祠があったのだが、何神社なのかは不明。
スポンサーサイト

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

カレンダー
08 | 2017/09 | 10
- - - - - 1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
ブログ内検索
カテゴリー
最近の記事
最近のコメント
月別アーカイブ
最近のトラックバック
FC2カウンター
プロフィール

梁瀬

Author:梁瀬
無駄な徘徊でCO2を増やす、
方向感覚に不案内なヒト

リンク
RSSフィード