館林城鐘(西本町)

IMGS0627s_201709172217421fb.jpg
 時宗館林山應聲寺前に残る館林城鐘(館林市西本町2)。
DSCF0781s.jpg 
群馬県指定重要文化財 館林城鐘
一、指定年月日  昭和二八年八月二五日
一、所 在 地  館林市本町二番五〇号 応声寺
一、時   代  江戸時代
 この鐘は、寛文一三年(一六七三)、館林城主徳川綱吉が城内をはじめ城下町へ時を知らせるために下野天命(現栃木県佐野市)の鋳物師長谷川次郎左衛門藤原勝重に鋳造させた城鐘です。
 鐘の大きさは、口径七五cm、胴の高さ一〇六・五cm、龍頭を含め一三八・五cm、肉厚七・七cm、重さは五四〇kgを測り、駒の爪や撞木座、上部のツバ、下帯の文様などに江戸時代の巨鐘の特徴を示しています。
 乳の配列は五乳五列。池の間には鐘名の痕が残っています。この銘文は、綱吉を継いで館林城主となった綱吉の子徳松丸が、天和三年(一六八三)に死去し、館林城が一時廃城となった際、城鐘は不要となったことから、当時、時報係をつとめていた縁故で応声寺に下げ渡され、その時の条件としてつぶされ判読不可能となったと言われていますが、その後の研究、調査で次のようであったと解読されています。
 鐘之為器也、文武兼用、其声之伝、遐邇亮彰、上下聞達、在八音之始而万物由是以動、故内而懸於殿堂以置左右、外而携於軍旅以成進退、然則城楼不可無鐘、可以発晨昏之省、可以戒衛護之務矣、上州館林城者、為関左之重鎮、方今命鳧師、改鋳旧鐘、既脱鑢鞴、新架楼頭、令僕作銘、貴慮之加不可辞焉、銘日
  上毛野国 館林城楼 九乳改旧 六時点籌 動而鯨吼
  静則雷収 分弁昼夜 抹過春秋 花移長楽 楓添楚遊
  晨曦杲杲 暮雲悠悠 近聴先覚 遠響焉廋 有出有入
  或去或留 隊士馬進 戍卒衣摳 思武以激 謹直不休
  彫弓盧矢 画戟英矛 各守班別 共為好仇 兵備無文
  文徳可修 太平固本 方鎮相攸 簨虞高掛 鎮勲貽謀
   寛文十三年癸丑秋九月吉辰
         弘文院学士 林 恕謹記
               (参考 館林市歴史編)
 現在、鐘には幅〇・二mm、長さ四〇cmほどの亀裂が入っていますが、この亀裂は、銘文をつぶす時に生じたものと言われ、その後、嘉永元年(一八四八)の火災などを経て広がったものと伝えられています。
「城下町館林」に欠くことのできない館林城関係の文化財です。

IMGS0632s_2017091722173900b.jpg
 「歴代に 時の音告げた 城の鐘」
DSCF0792s.jpg

DSCF0787s.jpg
 応声寺。
DSCF0794s.jpg
スポンサーサイト

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

カレンダー
10 | 2017/11 | 12
- - - 1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 - -
ブログ内検索
カテゴリー
最近の記事
最近のコメント
月別アーカイブ
最近のトラックバック
FC2カウンター
プロフィール

梁瀬

Author:梁瀬
無駄な徘徊でCO2を増やす、
方向感覚に不案内なヒト

リンク
RSSフィード