塚廻り古墳群第4号古墳(龍舞町)
国道122号線と県道38号足利千代田線が交わる竜舞北交差点の500m程北東に位置する塚廻り古墳群第4号古墳(太田市龍舞町3089)。
十一年前と変わってはいないだろうと思ったら案内板が新しくなっていたり入口に木が植えられていたりした。
国指定重要文化財「上野塚廻り古墳群出土埴輪」(模造)
この塚廻り古墳群第四号古墳に並べられている模造埴輪類は、発掘調査によって明らかにされた埴輪類を忠実に復元製作し、出土状態からその配置を復元したものである。
墳丘部には、円筒埴輪、盾形埴輪、家形埴輪、大刀などが配置されていた。
造り出し部には、円筒埴輪のほか、人物埴輪や馬形埴輪が配置されていた。西端には四体の女子像が配置され、その東部には椅子に座った男子、跪く男子などの七体の男子像が配置され、その北部には飾り馬と馬子が配置されていた。
このような埴輪の配列から、椅子に座った男子を中心人物として、首長権が継承される儀式を再現したのではないかと推察できる。
各々の埴輪のつくりは表現も豊かで、造形的にも非常に優れており、この四号古墳出土の埴輪類を含め「上野塚廻り古墳群出土埴輪 一括」として、昭和六十年六月に国の重要文化財に指定された。現在、埴輪の現物は群馬県立歴史博物館に保管されている。
平成二十七年三月二十五日
この塚廻り古墳群第四号古墳に並べられている模造埴輪類は、発掘調査によって明らかにされた埴輪類を忠実に復元製作し、出土状態からその配置を復元したものである。
墳丘部には、円筒埴輪、盾形埴輪、家形埴輪、大刀などが配置されていた。
造り出し部には、円筒埴輪のほか、人物埴輪や馬形埴輪が配置されていた。西端には四体の女子像が配置され、その東部には椅子に座った男子、跪く男子などの七体の男子像が配置され、その北部には飾り馬と馬子が配置されていた。
このような埴輪の配列から、椅子に座った男子を中心人物として、首長権が継承される儀式を再現したのではないかと推察できる。
各々の埴輪のつくりは表現も豊かで、造形的にも非常に優れており、この四号古墳出土の埴輪類を含め「上野塚廻り古墳群出土埴輪 一括」として、昭和六十年六月に国の重要文化財に指定された。現在、埴輪の現物は群馬県立歴史博物館に保管されている。
平成二十七年三月二十五日
群馬県指定史跡 塚廻り古墳群第四号古墳
指定年月日 昭和五十二年九月二十日
所 在 地 太田市龍舞町三〇八九番地二ほか
昭和五十一年度に行われた太田市東部地区ほ場整備(土地改良)事業の際、偶然水田下から発見された七基の古墳のひとつである。
円丘部に台形の造り出し部を付け加えた形で、帆立貝式古墳と呼ばれる形式である。墳丘の全長は二十二・五メートル、円丘部の直径十七・七メートル、造り出し部は幅八・七メートル、長さ四・八メートルである。
周囲に幅四・五メートルの堀を持つ。
主体部は、円丘部中央と北側裾部の二か所で発見されており、後者は埴輪列を壊して造られている。
墳丘部から円筒、朝顔形円筒、家形、器財、人物、馬の計三百四点の埴輪が出土している。これらの埴輪は、その優れた造形と、埴輪祭式の様子をリアルに再現することが可能なことから、昭和六十年に一括して国の重要文化財に指定された。
築造時期は、六世紀前半と推定される。
平成二十七年三月二十五日
指定年月日 昭和五十二年九月二十日
所 在 地 太田市龍舞町三〇八九番地二ほか
昭和五十一年度に行われた太田市東部地区ほ場整備(土地改良)事業の際、偶然水田下から発見された七基の古墳のひとつである。
円丘部に台形の造り出し部を付け加えた形で、帆立貝式古墳と呼ばれる形式である。墳丘の全長は二十二・五メートル、円丘部の直径十七・七メートル、造り出し部は幅八・七メートル、長さ四・八メートルである。
周囲に幅四・五メートルの堀を持つ。
主体部は、円丘部中央と北側裾部の二か所で発見されており、後者は埴輪列を壊して造られている。
墳丘部から円筒、朝顔形円筒、家形、器財、人物、馬の計三百四点の埴輪が出土している。これらの埴輪は、その優れた造形と、埴輪祭式の様子をリアルに再現することが可能なことから、昭和六十年に一括して国の重要文化財に指定された。
築造時期は、六世紀前半と推定される。
平成二十七年三月二十五日
左側の木の所が4号古墳入口になるが、案内板の図を見るとこの撮影した場所は13号墳があった辺りになるのだろうか。いや、10号墳から13号墳は埋め戻して保存されているそうだから「あった」ではなく「ある」なのか。地下だけど。
以上で9月15日参拝分終了。
使用機材はK-5IIsにDA16-85mm、DA FISH-EYE 10-17mm、50-150mm II。X30。
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